社長ブログ

ドローン事業を始めたきっかけⅠ

― 自作飛行機 ―

富山空港の滑走路でテスト飛行が失敗に終わった機体(残念無念)太陽も昇りはじめ、見物人も集まり始めてきた。

失敗して家に帰ると、父ちゃんは「その顔は飛ばなかったようだな。」と声をかけてくれました。「うん・・飛ばなかった。」と、落ち込んだ声で答えると、母ちゃんをは「これでやめるんだろう?」と言うので、「作り直す。」と言うと、「どうせ飛ばないのに止めておけば。」と母。「ううん、飛ぶまでやるんだ。」と、言ったら、「しょうが無いね。」とぼやいていました。

『今度はどこで滑走するかが一番問題だ。中学校のグランドを斜めに図ると約120mはある。ここを使うことにして50m滑走した時に100kmのスピードが出せれば50mで飛ぶことが出来る。』と考えました。

東京に行き空冷水平対向6気筒のエンジンを2台用意しました。エンジンの馬力は十分あるので、プロペラを大きくし、短距離50mで100km出るように設計をしました。

プロペラの木材を買ってきて、刻むと中まで乾燥していないので、細かい割れが出てくる。どれも削ると割れが出てくる。そこで建具屋さんに頼んで薄い板を何枚も重ね接着をしてもらいました。しかし、削っているうちに接着がはがれプロペラつくりに苦労しましたが、材木屋さんが、「この材木は長いことほっぽってあるから、削っても割れないよ。」と、言ってその材木を分けてくれました。削っても材木は割れませんでした。早速削ったプロペラを持って夜こっそり神頼みに行きました。

プロペラをつけたエンジンに架台を設置し、1トントラックに取り付けてテストを行いました。「50mで100kmをクリアできた。これなら大丈夫。」と、自信が持つことが出来ました。

1年かけて完成させ学校のグランドに行ってみると、周りにフエンスが張り巡らされていました。予期せぬ状態、翼をつけないで滑走を何回か試みたが、やはりここでは無理、と判断しました。

当時は、国道8号線にところどころに長さ500mぐらい誰も通らない状態の場所があったので、入善警察署に使わさせてほしい、とお願いをしましたが、そんな危ないことはできない。と一喝。自分はわらにもすがる思いで、何回もお願いしました。すると奥から署長さんが出てきて、「富山空港でやったらいいだろう。俺が聴いてみてやる。」と言ってくださいました。『使用しても良い。但し条件がある。日没から日の出までの間でなら使っても良いぞ。』とのことでした。

嬉しかった。そこで知ったのは、自分が真剣になると人は動いてくださるということ。その時とても貴重な体験をしました。

機体を運んで夜のうちに組み立てて、外で毛布をかぶって朝を待ちました。立山連峰が明るくなってきて、滑走路に飛行機を引き出し、エンジンでプロペラを回してスタート!エンジンの音は快調、操縦席に入って、スロットルを追すとエンジンの回転が上がり滑走し始めました。スピードが20kmぐらいになると左にカーブし始め、幅25mの滑走路をはみ出しそうになったので、危険と判断しエンジンを止めました。スタート地点に戻し再度試みたが同じ。もう一度と思いトライ。まったく同じ。剣岳の山頂から太陽が昇り始めたのでやむなく中止にしました。

家に持ち運び何故に曲がるのか考えました。結論はプロペラが大きすぎて、反転トルクで機体が左に引っ張られることで曲がると結論を出しました。 ガッカリしていると、父ちゃんがやって来て「一杯飲め。」と言って一緒に酒を飲みました。父ちゃんは「この失敗は、お前が一所懸命やったこと。必ずこの経験が生きてくることがある。何事も真剣に取り組むことだ。」「落ち込むな。」と、言ってくれました。その時、父ちゃんが心配してくれていることがとても嬉しく思えました。 つづく・・・

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